フランス人宣教師で、教育者。1885年(明治18年)に来日し、1896年(明治29年)にカトリック宮津教会を築いて定住すると、教会敷地内で裁縫伝習所や京都暁星高等学校の前身となる宮津暁星実科女学校を創立。当時、男性に比べて就学率の低かった丹後の女性の教育に貢献した。1857年12月17日 生- 1941年2月1日没。
松田道
現在の京丹後市峰山町出身の教育者。同志社女子専門学校(現在の同志社女子大学)で歴代最初の女性校長となった。慶応4年9月7日(1868年10月22日) 生- 1956年(昭和31年)1月15日没。
羽田亨
現在の京丹後市峰山町出身の東洋史学者。京都大学総長を務めた。1882年(明治15年)5月15日 生- 1955年(昭和30年)4月13日没。
小谷勝重
現在の京丹後市丹後町間人出身の法学者。最高裁判所裁判官。弁護士。1890年(明治23年)12月24日 生- 1963年(昭和38年)10月27日没。
現在の与謝野町三河内出身の社会福祉家。4歳で熱病のために失明した。「盲目は不自由なれど盲目は不幸にあらず」と語り、生涯を盲人の職業教育など障害者の自立支援に尽くした。昭和時代に活躍した著名な盲人100人の一人に挙げられる。1894年8月12日生 - 1970年9月11日没。
現在の与謝野町加悦奥出身の文筆家。幼くして保護者と死別し、13歳から丹後ちりめんの機屋に奉公し、その後の大阪などの紡績工場で働いた経験から執筆したルポルタージュ『女工哀史』は、 紡績工場で働く女工の過酷な労働状況を世に広く知らしめた傑作として、『あぁ野麦峠』とともに全国に知られる。1897年5月9日 生- 1925年8月18日没。
丹後町立虎杖小学校での実践『亡び村の子らと生きて』で知られたへき地教育の第一人者。詩人。