丹後地方の歴史を物語るもっとも古い書物。全国各地にある風土記のなかでも文章での記録が多く、質の高いものであるという。
丹後地方の稲作や酒造りをもたらした神。現在は三重県の伊勢神宮外宮にまつられているが、丹後地方の神社の多くが主神としている。
丹波(現在の丹後を含む)平定のために朝廷から派遣された将軍。丹波国の王となった。妻は久美浜の川上麻須朗女。
古代、丹後地方は丹波地方とともに「丹波国」を形成し、その中心地は現在の京丹後市峰山町の丹波であったという。
かつて日本の地方行政区分だった令制国の単位で、丹後地方は709年に丹波国から分かれて丹後国となった。
歴史学者・門脇禎二が提唱した。古墳時代に丹後地方を中心に栄え、ヤマト王権や吉備国などと並ぶ独立性があったと考え、「丹後王国」と呼んだ。
古代の丹波国を支配した国造の氏族。この傍流に海部氏がある。
丹後国一宮・籠神社の宮司を世襲する。古代から丹後国を拠点としたとみられる氏族。
『続日本紀』に記述されている日本史上最古の地震で、飛鳥時代終盤に近畿地方北部で発生した。大地震。
室町時代から安土桃山時代に、丹後国を治めた武士の氏族。守護職。清和源氏義国の流れを汲む、足利氏の一門だった。
伊勢平氏一門の支流で、鎌倉時代に弓木城を築いて居城とした。のちに一色氏が丹後入りするとその家臣となり、一色氏滅亡後は豊臣秀吉の計らいで細川氏に仕えた。
久美浜地域が天領地であった時代に設置された。
江戸時代から昭和初期にかけて、山陰・北陸の海を股にかけて「テングサ」を採取した、丹後半島で唯一、潜水漁を行った一団。
江戸時代を通して京極氏による安定した治世が守られた。
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12人の峯山藩主の項目が作成されています。(2020年12月現在)
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峯山藩主を含め、15人の峰山京極家の関係人物の項目が作成されています。(2020年12月現在。)
峯山藩の丹波で、高地にある田畑に水を引くために行われた用水路工事。
現在の大宮町周枳の田圃へ農業用水を引くために建設された水路。
享保年間、飢饉による貧困を脱却するため、峯山藩と宮津藩でほぼ同時期に誕生した。
江戸時代の丹後国にあった藩の一つ。京極高知の頃は丹後一国を治めていたため、丹後藩とも呼んだ
16人の宮津藩主の項目が作成されています。(2020年12月現在)
12人の宮津藩の人物の項目が作成されています。(2020年12月現在)
丹後地方最大の農民一揆であり、農民が勝利した歴史的事件。しかし、一揆を主導した吉田新兵衛ほか数名は責任をとわれ、処刑された。
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幕末の宮津藩に関係する9人の人物の項目が作成されています。(2020年12月現在)
宮津藩の時代の網野町で、離湖の水害から田畑を守るために掘削された水抜き穴。
日本土木史に残る難工事であった。
1868年から1871年までのわずかな期間、明治政府によって設置され、京都府北部を管轄した。
1871年の久美浜県廃止後、1876年に京都府に編入されるまで、丹後地方は「豊岡県」だった。
昭和2年に発生した丹後地方を震源とする大地震。当初は「奥丹後地震」「丹後震災」等とよばれた。
太平洋戦争中に、舞鶴にあった軍港を防衛することを主な目的として結成された航空隊。終戦直前には特攻隊の訓練も行われた。
峯山海軍航空隊の飛行場。現在のショッピングセンター「マイン」から丹後織物工業組合工場にかけて多くの遺構が残る。
明治期、宮津藩旧藩士の子弟教育を主目的に設立された私塾。自由民権運動がふきあれるさなか、政治思想に偏らず基礎学力の充実と教育の自律を重視した。
太平洋戦争の軍需で採掘されたニッケル鉱山。戦時中には多くの外国人捕虜が強制労働に従事した。
昭和38年に丹後地方を襲った豪雪災害。多くの山間部の村で、この雪をきっかけに人々が村を離れ、廃村への道を歩んだ。
日本では、北海道の次に規模が大きい丹後の国営農地開発事業について解説。必見です!
関西電力が久美浜湾西岸に建設を計画していた原子力発電所。長年の住民らの反対運動が実り、2006年3月に計画中止となった。
かつて京丹後市地域に存在した45の自治体の項目が作成されています。(2020年12月現在)
かつて与謝野町地域に存在した10の自治体の項目が作成されています。(2020年12月現在)
かつて宮津市地域に存在した10の自治体の項目が作成されています。(2020年12月現在)
京丹後市誕生以前の、久美浜町全域にあたる。
京丹後市誕生以前の、網野町、丹後町、弥栄町にあたる。
舞鶴、福知山のほか、宮津市の一部が含まれた。
京丹後市誕生以前の、峰山町と大宮町にあたる。
丹後地方で2020年現在も存続する唯一の郡。与謝野町と伊根町にあたる。
全国的にも廃村現象が先行的・集中的に発生していた丹後半島および丹後町の村々の記録。
京丹後市
京都府下最大の立像石仏地蔵。
由来は諸説あるが、一説に丹後地域最大の農民一揆の指導者・吉田新兵衛の慰霊の仏像ではないかといわれ、「新兵衛地蔵」とも呼ばれる。
峯山藩の京極氏の藩政は、陣屋を中心に侍屋敷や長屋などが整備され、城下町が形成された。
峯山藩7代目藩主であった京極高備の命により創建された。
与謝郡(与謝野町・伊根町)
鎌倉時代末期に築かれた堅固な山城で、一時は丹後国の中心地ともなったとされる。
慰安旅行先の東京でスペイン風邪にかかり、大勢の死者が出た筒川製糸工場の工場長が建立した慰霊の碑。
宮津市
宮津市立宮津小学校に馬場先御門の太鼓門が残る。
江戸時代に酒造・廻船・糸問屋などを営んだ、宮津城下町有数の商家。
1888年(明治21年)に 宮津で伝道活動を始めたフランス人宣教師のルイ・ルラーブ神父が建立。